リュックが大きい日と小さな手提げ1つで済む日

どのように生きどのように食べていくかを整理することもある。書き散らしの日もある。

命を助けてくれた医師

 

・N医師

  初診の年(2014)

 【まずはうつ病の診断 双極性障害へ】

 2014年2月11日から18日のどっか(控えを捨ててしまった)で診断書を書いてくれた医師。処方はレクサプロと何だったかな。リフレックスやな。

 ま、死のうと思ったから精神科に電話した。したら2日くらい後、とすぐ予約をとれたので死なずに済んだ。

 2014.2月~病休、通院、2014.5月 復職する。双極性障害の治療が2014年 春から始まる。

 2014年 春~秋はN医師に通院。

 

・O医師 

 【双極性障害の治療】

 2014年.冬?~2016.11月まで通院

 

 2014年 4月~2015年 3月の出来事

 

 2014年 5月復職、2014年 夏 休職

 

 2014年 夏を終えたところで双極性障害が悪化 つうか、春に躁のエピソードが起こったんじゃないかな 2014年夏終わりから休職する 

 N医師が、いやだったからではなく、やむなく、O医師に転院する 2014年を終える。

 

 休職中の当初は、家から出なかった。親が健在だった。家で漫画を読む。なぜか、最初はネットは一切見なかった。

 その後、家にいるのも飽き、スーパーの駐車場で車内で菓子を食べる、図書館、プール。休職中はもちろんINが少ないため、徐々に残高が尽きていく。

 2015年年が明ける。2015年 3月 退職。退職金はわずかにいただいた。パート労働者(1)には、退職前に、面接を終えていた。

 

 2015年春、O医師に、障害者手帳の診断書を書いてくれと依頼し、

 2015年(平成27年)5月 障害者手帳を取得した。これは確実、障害者手帳が更新されても記録は手元にあるため。

 2015年4月、パート労働者 職場(1)をはじめ1年めを過ごす。必死に働いた。

 

 2016年(平成28年) 4月、パート労働者 職場(2)に職場を変わる。

 2016年 10月で辞める。次の仕事への下準備を、行ったうえで。この時は、パート(2)の稼ぎが少ないものだったため、家族の協力なしには生活できなかった。

 

・P医師 

 【双極性障害の治療 強化】

 いろいろあり、O医師からの紹介にて、P医師に転院となる。2016年(平成28年)11月以降。(薬局の記録から推測) 

 2017年 1月はじまりの手帳が残っていた。1月の記録で、P医師にかかった予約時間記載がある。確実。転院し外来初日から内服が増えた。今思えば、P医師は、この処方強化で、状態を良くしてくれたのだと思う。

 2017年 4月 パート労働者(3)となる。パート(1)やパート(2)よりも、時給の高い仕事へ就くこととなる。自分の専門分野である。だいぶ自信がついてきた。

 2018年 4月 継続していた。仕事は嫌ではなかった。

 

(中略)

 

 2018年 〇月より、現在の職場に就職する。P医師には引き続き通院中。

 2023年 〇月、今もP医師にかかっている。

 眠剤、飲み方を誤用しており、ここ最近ようやく正しく服用できるようになってきた。

 双極性障害の内服は最近増量となった。

 

・お金について

 

 自立支援医療を最初にとったのはいつだったか。結構すぐだったか。教えてくれた人感謝。

 障害者手帳をとる前も、とってからも、メリットをいろいろ探した。持っててもいいけど、そもそも、うつ状態だと文化施設とかいく元気なくね。携帯料金は助かっています。

 税金の控除はクローズなので思うところはある。

 口座残高が〇円を切ると、そろそろやばいな。と思い、ネットバンキングを眺めるのであった。